大学ボッチに1番向いてるのは茶道教室では?

大学ボッチが卒業して10年経って、通ってみて思った。
日日是好日の小説にも書いてあったけど、茶道には自由がない。ひたすら利休さんの境地を目指して、右足から入るとか、袱紗の扱い方とか全てが決まっている。でも茶道をしてると、人より上手くなりたい、個性的になりたい、いいかっこしたい、そんな気持ちから自由になれる。
これって大学とは全く真逆だからだ。大学は自由だ。でも自由は不自由である。行動、服装、色んなものを決めるのに、大学生とはこうあるべき、個性、人との差異、など色んなものに縛られなければいけない。大学に馴染むには、承認欲求に縛られるか、他人の眼や世間体を気にするか、そういう人しか馴染めない気がした。
自由が礼讃される世の中で決まりごとは窮屈なイメージがある。でもアドラー心理学の承認欲求を捨て、共同体感覚を得るという感覚。それはなにか決まりごとがあってこそ、辿り着けるものだと、茶道を始めて実感する。
大学ボッチだった頃、友達がいないことを恥ずかしいとは思わなかった。でも共同体感覚に飢えていた。それを茶道が今与えてくれる。