原始人的本能が生む矛盾

興味深い本を読んだので紹介したい。書いた著者はパック旅行を勧めるような人だから自分とはおおよそ価値観の違う人である。しかし、人間の認識されづらいストレスの原因について書かれた部分はかなり興味深く、鬱に苦しむ人を救う可能性もあるので、是非ともお薦めしたい本である。
『しばられてみる生き方 軍隊式・超ストレスコントロール術』(下園 壮太):講談社+α新書|講談社BOOK倶楽部

「原始人にとって少ないエネルギーを有効に使うということは、とても重要なテーマだったのだ。文明が発達し、私たちの食糧事情は大きく改善した。機械や電力などのおかげで肉体労働もだいぶ少なくなった。一見、人類はこのエネルギー苦から解放されたように見える。ところが、人のシステムのほうが、文明にの進化についていかない。エネルギー苦はいまでも原始人の基準で「苦しさ」を発生させているのだ。」
「エネルギーが無駄に使用されてる(効率的に使用されてない)と判断されるとその状態を改善させるべく強い苦しみを発生させる。だから私たちは意味のない仕事、やりがいのない仕事を強要されると大変に苦しい。」
「退屈はエネルギー苦によって発動される。人は頭脳を使い、環境に働きかけることによってより良い生活を得てきた。原始人的には特に大きな危険がなければ、将来の安全を保障するために?自分の能力を上げるか?環境を改善しなければならないとプログラムされているのだ。」
「人は刺激を求めるようにできている。何の刺激もない状態は、食にも性にもありつけない。刺激がなければ学習も工夫も成立しない。刺激を求めていく行動が生へとつながっていく。」
「引きこもりやニートが苦しんでいいるのは『命と言う貴重な時間を無駄使いしている』というエネルギー苦なのだ。エネルギーのチェックシステムはエネルギーだけを見ているのではなく、限りある命の有効利用、つまり時間の活用法についても同じような厳しさで監視している。引きこもりやニートは自分自身のエネルギーチェックシステムから厳しい批判を浴びているのだ。」

・効率化したい。エネルギーを効率よく使いたい
・退屈は苦痛だ。意味のある仕事がしたい
この二つはどんな思想の人間であれ逃れられない原始人的本能だということだ。

衣食住に事欠く時代。供給が需要に満たない時代。2つの原始人的本能は矛盾しなかった。 でもテクノロジーの進歩で供給過多になると2つは矛盾するようになった。 米も家も服もごく少数の人間によって大量生産される。 大量生産の過程でデメリット(すごく環境に悪いとか・・)が発生する場合もあるし、非効率な作業がメリット(手作りの味が出るとか・・)を生むが とりあえず効率化され大量生産される。1度効率的な方法を知ってしまえば非効率的な作業にはイライラしてしまう。するとごく少数の人間しか意味のある仕事にありつけなくなる。 人類の歴史が3千年だか4千年だかにしろここ4,50年前にで供給過多になったというのは 人類史において大転換期なのではないだろうか?

だから1970年以降の日本人はずっと混迷したまま、なんとか有意義な仕事がしたい。 と自分探しをしてきたのではないだろうか? 多くのひとは消費文化に走ることで、車を売る仕事もマンション建てる仕事も 価値があると思いたかった。 消費文化に馴染めない人は環境活動や人権活動、社会運動を通じて 有意義な仕事を見出そうとした。しかし実は温暖化してない地球、実はそれほど低くない日本の食糧自給率、実はそれほどひどくない人権問題 のように彼らは時々問題を捏造する。左翼的活動の罠 - 社会考察日記 azalea。それも実は世の中には有意義な仕事がないことの現れじゃないだろうか?

人々は食べ物に飢えなくなった。代わりに有意義な仕事に飢えるようになった。

昔だったら、「食糧は絶対的に不足している。飢えや病気に苦しむ人がいる。略奪に走る輩もいる。 だからなんとか食糧を増やす方法を考え、人々にいきわたらせ苦しみから救わなければいけない。」

今は、「有意義な仕事が絶対的に不足している。鬱や引きこもりに苦しむ人がいる。消費に走る輩もいる。 だからなんとか有意義な仕事を増やす方法を考え、人々にいきわたらせ、人々を苦しみから救わねばならない。」

さて有意義な仕事を増やす方法を考えないと・・