前向き思考を捨て真実にしがみつく。

前向き思考というのが嫌いである。結局、その時どんな風に使われるかだけど、大概、それは現実から目をそむけましょう。という思考になっているからだ。

その最たる例が平和運動というやつなんだが、そもそもまともな人間なら戦争より平和を望むのが当たり前である。そして何より、大概その平和運動が他国(欧米、中国、韓国)のナショナリズムとか国益の奪い合いである政治外交という現実から目を逸らしたものでしかなく、つまりジジェクが言うところの

「ある種の限界に達しない限りメディアによって支持されることになってる運動、国境なき医師団グリーンピースフェミニスト、反人種差別こうした類の行動は相互受動性について完全なる事例を与えてくれる。それは、何かを達成するためではなく、何かが本当に起きてしまうこと本当の変化を阻止するために行為することを意味しているのだ。こうした熱狂的なまでにヒューマニスト的なpolitically correctといった行動はすべて『始終何かを変化させ続けよう!そうすれば、全体からすれば事態に変化が起きない』といった定式にぴったり填っている。」迫り来る革命 レーニンを繰り返す (単行本) スラヴォイ・ジジェク (著),

という一種の変化の先延ばしという行為に過ぎないからである。それに対して本当の意味での平和運動と呼べるのはガンジーの非暴力抵抗ではないかと思う。非暴力運動をサッティヤーグラハというのだが直訳すると真実にしがみつくになるのだそうだ。ハラスメントは連鎖する 「しつけ」「教育」という呪縛 (光文社新書) (新書) 安冨 歩 (著), 本條 晴一郎 (著)

さて、自分が前向き思考とは逆の意味での真実にしがみつく思考に至ったのはACからの回復体験が大きいと思う。〈アダルトチルドレンについて〉〈子どもを生きればおとなになれる〉自分の場合、表面上はいい家庭を装う機能不全家族だったので、ACから回復するにはけっこう残酷な事実にも向き合わなきゃいけなかった。

ACとは家庭における適応→抑圧→依存症のスパイラルだが、これは学校、職場、社会全体にも同じことが起こり得ると思う。例えば学校なんかだと、クラスの一員となるためにはある程度皆と同じ価値観を求められたりする。基本的に学校は社会適応の場であり、現在ならそれは企業に適応する場である。・・ただやはり今の世の中において就職してからというのが1番大きく適応と抑圧を求められる時期だと思う。なんといっても今の世の中、世の中の3割の人が働けば全ての人の衣食住が満たせてしまう時代でそれで企業の利益の最大化のため、過剰な労働が求められるのだから・・

以下は私が見てきた社会人の実態である。企業に就職する8割の人は普通の仕事と普通の暮らしがしたいと思って就職する。でも実際企業で求められるのは利益の最大化である。そしてアルバイトのように簡単に辞められないし、長期休暇も取れない。必要なお金を稼ぐ分だけ働くというわけにはいかず、コンスタントに働き続けなければいけない。そうなると未婚で実家や寮暮らしの場合すぐに金が貯まる。金が貯まっても働き続けなければいけない。仕事はきつくてストレスが溜まる。ここで社会人生活に適応するためには思考歪曲しなくてはいけない。「自分はいい車に乗れるからがんばっているのだ。」「出世することには価値があるんだ。」「俺のやってる仕事はすごい仕事なんだ。」「大企業に就職できることは恵まれたことだ。」「自分はキャバクラ、風俗、パチンコ、ギャンブル、ゴルフが好きだ。」「これが普通のライフスタイルでそれで幸せなのだ。」私から見れば、本当にそう思ってるのではなく、自分の本心を抑圧して自分を納得させる言い訳を探してるのだ。そして、自分は4年働いてアルコール依存だと思われる人を5,6人は見てるし、仕事依存で仕事を辞めたとたんアルコール依存になる人も多いらしい。そして自殺者も多い。始終いらいらしていて時に爆発する人。うつ病の人。

私の見た社会人の実態である。こういう状態の人に資本主義や経済成長がうんぬんという話をすると、じゃあ、どうしろというのだ?と逆切れすると思う。ここでまたジジェクから

「『何をすべきか』という問いに対して私は『分かりません』としか答えてきませんでした。私にできる唯一のことは、そこにある対象を厳密に分析することです。そんな私を人々は次のように非難したのです。批判の実践とは、状況をよりよくするためにいかにせねばならないかについて語る義務ではないのか、と。私にとっては、こうした論難は議論の余地なく、ブルジョワ的な偏見です。そうしたことが歴史において幾度となく起こりました。その結果まさに純粋に理論的な目的を追求した仕事が意識を変化させ、またそれによって社会的現実をも変化させてしまったのです。−アドルノ

企業の下での社会人生活からの脱出方法として脱サラして田舎で農業とか色々あるが実際にはそんなに簡単ではない。家族の理解とかツテがないと厳しいだろう。そもそも、どうしようもないから無理に適応して抑圧(思考歪曲)したと思うのだ。〈現実には自由などない現場から〉もし企業で働く社会人が今の経済の仕組みに疑問を持って研究したら辞めて田舎で農業やれる人、辞めて家に引きこもる人、しょうがなく仕事を続ける人、色んな人が出ると思う。それはその人の周りの色んな環境しだいだが、やはり「真実にしがみつく」ということが重要なのであると思う。ACの回復と連鎖の断ち切りにおいて重要なのは、どれくらい悲惨かじゃなくて機能不全を自覚しているかどうかである。どうにもならないからと自覚をやめてしまう、あるいはどうにかなっちゃうからと疑問や思考を止めてしまうのではなく、自分は今理不尽な状況に適応されようとしているのだ・・と、真実にしがみつくことが大切だと思うのだ。