メディアの多様化が悲惨な社会を隠蔽してる?

メディアの多様化が悲惨な社会を隠蔽してる?のかもしれないと思った。

さて前にも書いたけどインターネットと彼らの計画 - 社会考察日記 azalea内田樹氏も言ってるのだけど、ネット上の発言の劣化について - 内田樹の研究室インターネットの普及で大手のテレビや新聞は必要なものではなくなった。インターネットのない時代は情報を鵜呑みにするにせよ疑うにせよ、まずテレビ、新聞から情報を得るしかなかったし、インターネットの普及し始めの時期はテレビ、新聞に対するアンチテーゼとして2chのようなインターネットメディアがあって、そこで主流メディアでは言えないようなことを言うといった感じだった。さてネットの普及が進むともはやテレビも新聞もいらないという人も増えた。一方で家では相変わらずテレビつけっぱなしという人もいる。

以前は大手新聞テレビの論調に同調出来る人がマジョリティーでそうでないひとがマイノリティー。でも今はもう国家1億総マイノリティーで多数派の論調なんてのは存在してないんじゃないだろうか?以前はそれがいいことだと思うと書いた。

ところが最近思うのだけど、それが今の病んだ社会を隠蔽してる?ずっと前から資本主義は病んだ社会だけど、消費主義に浸っていればそれは自覚されない。だがここ数年消費の魅力がなくなると、それを自覚せざるを得ない人が増えてきた。今の会社でも上司はうつ病ぎみばかりの人で、自殺者は相変わらず毎年3万人、就職できずにニートの人もいれば、就職してもやめてニートになる人もいる。それはもちろんずっと前からの傾向なんだけど、ここ数年特にひどくなってきて・・つまり今の世の中社会に適応できない人の方が多数派なんじゃないだろうか・・ってこと。

ただ今の世の中、世論が分裂してて一枚岩の世論がない。だからそのことが露呈せずに社会に適応できない人は皆自分はマイノリティーだと思ってる。

だからもし今、インターネットがなくなったとしたら・・新聞、テレビの論調も変わるんじゃないだろうか?彼らは視聴者、読者に媚びないといけないから・


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