今年を振り返り・・

9/23の記事でもしかしたら、2011年で日本人の意識が変わるかもしれないって書いた。日本は民主主義の国だから、経済システムだとか、政党、原子力発電も民衆の力で変えられる。日本は自由の国だから、その気になればサラリーマンなんか辞めてみんな農業したり、自営業したり世界放浪の旅へも出かけられる。そういうことになっている。

私は大学を出てから5年ほど働いてる。去年派遣社員から正社員になった。そうしたいからそうしたのか?いやそうなっちゃったからそうなった。自分は意志が弱くて勇気がなくて後ろ向きなダメ人間なんだろうか?だからしたいことが出来ないんだろうか?

自分の事を親や社会のせいにするのは恥ずかしいだと言われている。でも大半の人の人生なんて親や社会によって運命づけられてるように思える。中学生の時から学校の成績とかどの程度の高校、大学出るのか、って結局だいたい親で決まっちゃうよな・・って思っていた。会社辞めてニートになる人、何か始める人もやっぱり親を頼りにしてるんじゃないだろうか?もしホームレスになった時やっぱり頼れるのは家族ぐらいだったりする。

今確かに仕事が辛い。仕事量が多いとか難しいじゃなくて、バカバカしくてモチベーションを保つのが辛い。こうなったのは親や社会のせいだと愚痴る気はない。ただ自分の人生はこういう運命だったと受け入れている。

私は何と戦い、何を変えられるのか?それは空気(ムード)だと思うのだ。人は職業、結婚のような大きな決断は自由に出来ないが、テレビを見る、買い物をする、酒を飲む、コンビニよる、人とどう接するか?というような小さな決断は選べる。飲まなきゃやってられないような精神状態になることはあっても、酒に溺れるか踏みとどまるかがんばるかどうかの決断は出来る。去年の11月ごろ書いたけど、いつでもその2つは選べる。

私が小学生から大学生まで、学校に行けば、テレビを見なきゃ、流行を追わなきゃという空気(ムード)流れていた。日本はそういう国だった。別にテレビも流行も追わなくてもいいのだけど、そうすると居ずらかったり、友達が出来なかったりする。サイレント・テロが何を変えるのか?それは空気(ムード)だ。去年の11月頃空が広く感じると書いた。そういう空気(ムード)がかつてテレビや買い物を楽しんでいた人の快楽にも影響してると思う。そしてそれは仕事をする人のモチベーションにも大きく影響する。

さて私が会社を辞める時、それは朝起きれなくなった時だと思う。そうなる前に辞めろよと人は言うだろう。でもやっぱり朝起きれなくなった時に私はそれを辞めるきっかけとして、人生の転機が来たとして辞めると思う。バカバカしくて仕事のモチベーションを保つのが辛い。それは空が広く感じ、時間もゆっくり流れるなか、企業というシステムのなか、効率性と利益を追求する。その矛盾が自分にも周りの人にも日に日に大きくなってると感じる。

そう、だから、私は自分でサイレントテロすることによって、自分の首を絞め、朝起きるのが辛い環境を作って自分で自分を辞めさせようとしてる。私は頭がおかしい?マゾヒスト?ただそうするしかない運命なのだろう。