DIYの危険性

田中宇氏の記事を読み不安に思ったこと。
米ネット著作権法の阻止とメディアの主役交代

多くの人は「事実は一つだ」「事実を教えてくれ」と言うが、実際のところ、物事の事実性は相対的なものであり、特に政治経済社会の分野では、複数の「事実」が語りうる。だが、多くの人々が「事実は一つ」と思ったままの現状の上で、マスコミは記事の内容によって、ネット業界は無数のコンテンツのうちどれを優先的に表示するかによって「これが唯一の事実だ」と見る側が感じる(勘違いする)内容を表示し、物事の「事実性」を微妙に操作する力を持っている。

フランス革命は、軍隊の中心を「金の切れ目が忠誠心の切れ目」の職業軍人から、無償で死んだり戦費を払ったりする「国民」に切り替え、国家にとっての戦争のコストを劇的に下げた。同様に、今の米国などの世界で起きている、マスコミからネット界へのプロパガンダ機能の移転という情報革命は、プロパガンダを発信する人々の中心を、職業記者から、無償で書いてくれる「ネット市民」(ブロガー、ツイッターフェイスブックをやっている人々など)に切り替え、プロパガンダ作製の総コストを劇的に下げた。大新聞のスター記者が、前近代の伝説的な職業将軍とだぶって見える感じだ。新たな「革命」の要点は、ポータルや検索サイトなどネット業界が、コンテンツの表示の順番を「アルゴリズム」など客観性を装いつつ、こっそり微妙に操作することである。

原発事故の時、思ったのだが、インターネット上で色々な情報が飛び交う。それをどうやって拾い、どうやって捨てるか。情報は多すぎるほど溢れてるから、どう捨てるかも考えなくてはいけない。

私もマイミクさんとかの情報から、情報集めをした。大手新聞の情報はほとんどみなかった。同時にこれで良いのかという疑問は常にあった。どうしても東電と政府は都合の悪い情報を隠蔽してるという構図から書かれた記事ばかりが集まってしまうからである。もちろん書いた人は真実にたどり着きたいと考えている。だが人である以上先入観と願望から自由になれない。

放射能被害は大したことがない。そう書いただけで、魔女呼ばわりされる。前回記事の陰謀論と同じ構造である。けど実際大したことがないかもしれないのだ。

ネットの普及で多くの人が、大手メディアを疑うようになった。だが私たちは利用されてるかもしれない。

大手メディアだって市民の味方という顔をして政府、企業の悪口を言い、政府、企業に都合の悪いことを隠す。巧妙なコントロールを行う。だいたい真実を語る前に読者の求める構図が既にできている。北朝鮮は遅れた国、中国は傲慢な国、日本の総理大臣は頭が悪い、等々。朝日、産経、読売、毎日、自分好みの構図で記事が書かれているのを選べば良いのだ。

だからもし大手メディアを離れ、diyのメディア、自分で情報集めをしたとしても、最初の先入観と願望ありきではうまく利用されてる可能性が大きい。政府や企業は悪い奴らだなんて先入観は民主主義が発生した100年以上前からある。私たちは自分の読みたい記事を自分で書いて、単にプロパガンダ作成のコストを下げているのかもしれない。

陰謀論が氾濫しすぎて真実が見えにくい時代。私たちに求められてるのは自分の中の願望、先入観を捨て真実を見極めようようとする力なのだ。

思い出したのは黒沢明の映画「羅生門」人は誰でも自分の都合のいいように解釈したがる。
"Rashomon" - Original Trailer - YouTube