消費とは欲望の解放ではなく抑圧だということ。

論じられるべきは若者ではなく、むしろオヤジのほうだ - yuhka-unoの日記
上記の記事に賛同する。若者のニートやすぐ会社を辞める件についてよく論じられるが、会社で辛そうに見えるのはどちらかといえばオヤジ世代である。

前にも同じようなことを書いたような気がするが、オヤジ世代はなぜ消費しない若者を受入れられないのか?、言い換えれば消費に頼っている人はなぜ消費しない人を受け入れられないのか?

消費に夢中になってる人、車、パチンコ、キャバクラ、ディズニーランド一見、欲望を解放してるように見える、本人は欲望を解放してるつもりだが、私には「普通」というレールから外れる恐怖に取りつかれてるように見える。また「真面目」「友人がいない、少ない」「暗い」「女々しい」と言われる恐怖にも取りつかれているようにも・・。そしてその自覚がないように見える。だから彼らはこうするのが「普通」、こう考えるのが「普通」だろう?と確認しないと不安なのだと思う。

社会から「こうあるべき」「こうするべき」「こう感じるべき」と求められた人物像。安富歩氏はこれを社会的自我と呼んでいたが、人間というのはなかなか自分が何を求めているのか気づきにくいものである。私も自分が本当の自分の本音を把握してる自信などない。

人間の本能だと思われがちな「物欲」は実はメディアに作られた欲望にすぎない。オヤジ世代にとって「お金は沢山欲しい」「いい女と付き合いたい」「出世したい」と考えるのが「普通」であった。そしてまた、なぜ働くのかいう問いにもそうするのが「普通」だからという答えですませてきた。

解放してるつもりで実は抑圧されていたというのは余りに悲惨なものだと改めて思うのだ。
中産階級は奴隷より悲惨 - 社会考察日記 azalea