貧困社会で人は幸せになれるのか?

前々回の記事でも書いたけど、経済成長をこの先見込めない日本では、低賃金化は避けられない。ワーキングプアニートそういった問題はますます深刻化するだろう。でも本当にそれは不幸な事なんだろうか?常々中産階級は奴隷より悲惨と考えてた身からすれば疑問だ。
未来の働き方について考えてみた - 社会考察日記 azalea
中産階級は奴隷より悲惨 - 社会考察日記 azalea


(1)選択肢が多いと幸せになのか?

基本的にお金が沢山あれば、色んなものを選べるから幸せだと考えがちだ。だが現実的には選択という行為はストレスがたまるのだ。
「私たちはエネルギー消費=体を使う、と考えがちで脳の消費する精神的疲労を見落としがちである。選択という作業は、情報を収集、分析、決断しなければいけない。だから選択肢が増えれば増えるほど選択にかかるエネルギーは2次関数的に増えていく。」「さらに選択と共に大きなエネルギーを消費するのが、感情の動き。とりわけ「不安」である。必要な情報を見落としてないだろうかという不安。後悔しないだろうかという不安。自分で自己責任で決めるので後で自分を責めるかもしれないという不安」(しばられてみる生き方/下園壮太
だから、晩御飯のおかずにしろ、住む場所にしろ、職業選択にしろ、お金の都合で自然とこれしかないね・・と決まっていく。それは後悔しないだろうかという不安を消すことにもなる。
便利な世の中はストレスがたまる。 - 社会考察日記 azalea


(2)人はそうせざるを得ない状況に置かれてやっと行動できる。

私たちは自分が自由意志で行動してると考えがちだ。だが実際には環境によってさせられてると考えた方が良さそうだ。考えてから行動するのが大人・・だと思われてるが実際には子供も大人も行動してから考えている。災害ユートピアがいい例だ。人は助け合わないと生きていけない環境に置かれて助け合うことができる。英語をしゃべれるようになりたいならそういう環境に行くことだ。サッカー選手はなぜ海外移籍をするのか。環境が選手を育てるからである。貧困のなかに置かれれば、行動せざるを得ない状況がでてくるだろう。それを生かせれば・・もっと深い人間関係を築けるかもしれない。
「災害ユートピア」から学ぶべきこと - 社会考察日記 azalea


(3)人は深刻な状況に置かれて、真のコミュニケーション能力を発揮できる。

貧困がすすめばもはや我々は今まで通りの会話を続けるのが難しくなるだろう。例えば「まじ、やばくない?」「だっせー」「超受ける」と言った若者言葉。サラリーマン同士の飲み会での会話。場を盛り上げるのがコミュニケーション能力とも言われてる。だが深刻な状況でそのコミュニケーション能力は使えるのか?
「最近の中高年の自殺には遺書を残す例が少ないのだそうだ。妻にも子にも友人にも何もつけずに死んでいく。ここにも日本語の窒息がある。(中略)自殺者が自分を語れないのは自殺者が弱いからだ。そう言ってしまうのが簡単である。言葉を知らない。抽象概念を知らない、そんな非難もできるだろう。そもそも言葉を残す知恵と力がないから、人生に敗北したのだとも。だが私はそうは思わない。問題は日本語にあるのではないか。現代の日本語には、現代社会において人間が直面する、あるどうしようもない「複雑さ」とうまくやっていく機能が足りてないのではないだろうか。」(「関係の空気」 「場の空気」/冷泉彰彦
私も大学の時経験があるのだが、大学生活がうまくいってる間はとても仲良さそうに振る舞っている。だが、就職、留年、うつ病、深刻な状況に直面したとき、言葉が窒息する。本来なら困ったとき相談に乗るのが友人のはずだ。だが実際には就職に失敗したゼミの同期は連絡を絶って失踪したし、精神的に病んで留年した私は同期と会話が成り立たなくなった。

私は貧困を利用して無縁社会を打破できるか・・が今後の日本で重要になってくると思ってる。思うに学生やサラリーマンの会話は中産階級限定の会話でそれが成り立たない深刻な状況になったとき、言葉が窒息するしかない。就職に失敗してニートになったり病んでドロップアウトしたとき無縁化するしかない。逆に私は病んでた頃に行ってたACの自助グループやカウンセリングが面白くて仕方なかった。何でも正直に話せた。学校や会社での会話もこうだったらいいのに・・と思ったものだ。もしかしたら貧困が進めば、そういった悩みを話せる場が主流のコミュニケーションになり、中流階級の上辺の会話を駆逐していくのかもしれない。


以上の三点により貧困社会はより明るい社会を実現していく・・もちろんそのためには努力が必要だが・・