文化的ゼロ成長時代
最近、ネットがつまらないのにネット依存ぎみで、自己愛への飢えとネット、スマホ依存について原因を考えてみた。ブログやツイッターをやる理由が自己愛しかない理由。それは僕らが文化的、精神的な進歩を望めない時代へと差し掛かってるからではないだろうかと思う。
自分は30前半だが、40,50の人から「俺らの若いころは、経済的に右肩上がりの時代だから、明日は今日より豊かだって感覚があって、それが希望だった。もっといい車に乗れるとか、海外旅行に行けるとか・・でもバブルの崩壊以降はどんどん貧しくなってくから、君らはいいことないよね。」と言われる。
けど自分としては、経済成長が見込めなくなっても、いやむしろ経済成長が見込めなくなったからこそ、世の中良くなるんじゃないかという希望があった。それは世の中には文化的、精神的には成長の伸びしろがいくらでもある。民主主義が機能してデモ、選挙、消費者運動、マイノリティの人権意識等が高まればきっといい世の中が来る。ベーシックインカム、ロスチャイルド陰謀論、心理学、インターネット(SNS)、そういうものがもっと世の中に広まればきっといい世の中になると思っていたし、それをモチベーションにブログを書いてきた。いつか社畜なんか卒業してみんなが楽しく働いて、世の中からいじめも虐待も貧困もなくなる、そんな日がくるんじゃないかという希望があった。
ここ10年くらいは、そういう進歩もあったと思う。日本人は消費者としてはよく考えるようになったと思う。以前のように流行に釣られてバカみたいに買い物するような日本人ではなくなった。金や物よりも精神的な豊かさについて考えるようになった。ただ成長するということは伸びしろがなくなるということでもある。確かに成長した。でも労働環境や暮らし向きは・・
もしかしたら、自分がもう少し年を取った時、若い子に「俺らが若いころは、まだ民主主義に希望が持ててたから、もっといい暮らし、いい世の中ができるんじゃないかという希望があった。でも君らはこれ以上良くなるって希望がないからな・・」なんて言ってるかもしれない。
ここ数年で読んだ本の中には「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか」「経済成長という病」と経済成長に対する疑問を促すものが多かった。でも、もしかしたら今後「文化的成長がなければ私たちは幸せになれないのだろうか」「民主主義亡き後の世界」「理想郷でなくても生きていける」なんて本が出るかもしれない。働くのは相変わらずつまらない、いじめも虐待も一定の割合である、貧富の格差もある、これ以上いい世の中も望めない、それでも僕らは生きていかないといけない。
資本主義の基盤である経済成長が「買い物、消費依存症」を生んだのなら、民主主義の基盤である文化的成長が「情報、ネット依存症」を生んだって言えるかもしれない。私も今の世の中に希望がないわけじゃない。でも希望はまやかしにもなりえる。未来はきっとよくなるという期待があるから現状に我慢できてしまう。逆に希望がなくなったとき人は変われるのかもしれない。
- 作者: C.ダグラスラミス,C.Douglas Lummis
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2004/09/08
- メディア: 文庫
- 購入: 6人 クリック: 81回
- この商品を含むブログ (27件) を見る
- 作者: 平川克美
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/04/17
- メディア: 新書
- クリック: 45回
- この商品を含むブログ (49件) を見る