人間関係のルールは何のためにあるのか?

最近、うちの会社にも新入社員が入ってきた。社員にとって後輩や部下ができるのはかなりのプレッシャーだ。特に新入社員が入るたびに今年の新入社員は「○○系」などと話題ができるが、新入社員が入るととりわけプレッシャーが大きいのは「いう事聞いてくれるのか?」「きつく接して辞められたら・・甘く接して舐められたら・・」という不安であり。それは新入社員にとっても会社の中の人間関係ルールが分からない不安、上司先輩にもどもまで自分たちの常識が通じるのかという不安だ。

先輩、後輩の上下関係というと前時代的な保守的なもので嫌な感じがするが、組織の中で一つのプロジェクトを進めるとある程度必要なことが分かる。

そもそも人類がまだ原始人だった頃、道端でバッタリ人に出会すということは恐怖だった。もしかしたら斧で襲って来るかもしれない。何をされるか分からない。だから神様、王様、村長なりを据えてこの人の言うことは絶対ですよ。というルールを作った。挨拶やお辞儀や握手などをして、お互いが安心出来るようにした。

だから逆に接待や面接などで今このタイミングで挨拶しないと怒られないだろうか?気を悪くしないだろうか?等と気を揉むのは本末転倒なのだ。本来あなたに敵意はありませんということを示すための挨拶なのに・・・

今の日本を見ると私の知る中では、もう昔の体育会系みたいな上下関係は止めようよという空気が高まりつつあるように思える。ただそれに代わる人間関係ルールを作ろうとする動きもないように思える。

NPOみたいなボランティアに参加するとうちは企業じゃないんだから・・ルーズに行こうよという空気があるが、結果として目標が曖昧ではっきりとした成果を出せないことが多い。逆に企業だと所長、主任、係員等の上下関係と役割がはっきりしてる分仕事の効率は良かったりする。

なんというか中途半端な状態なのだ。保守的なルールはいやだ自由がいいとは言ってみたものの、ルールがなきゃ何をしていいか分からない。会社の人間関係でも恋愛であったりSNS上のマナーであってもルールはないようであるような中途半端状態。だから新入社員が入るたびに不安に襲われたり、恋愛が楽しむことよりも傷つくことを恐れる度合いが多くなる。

江戸時代の話を読むと士農工商将軍様の間のルールも上の人間が威張り搾取するためもものではなく人間関係のストレスを減らすためのものであることが伺えるし、男女の夜這い制度のなかにも初体験で失敗することで自信をなくしたり、緊張しないで済むような配慮がなされたりする。

もし新入社員が入ってきたら教えるべきは会社のルールや上下関係が何のためにあるのか・・ということ。もちろん教えるためには上司自信分かってなければいけないわけだが・・

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