「世界のために自分がいるのか」「自分のために世界があるのか」あるアダルトチルドレンのコミュでこんな議論があったのだが、ACというのは家族が原因でヒーロー、優等生、あるいは自己犠牲的な世話焼きなどとして前者になってしまった人。だからこれを後者にシフトしていくことがACからの回復。

ということなのだが、これを読んで、俗には左翼的と呼ばれる活動、環境活動、平和活動、反資本主義活動がどうしてやってると虚しさに陥り易いのか分かった気がした。

結局、世の為、人のため、地球のためといっても皆それは自分のためにやっているのだな・・と

それを自覚してないと虚しくなる。例えば、自分でオルタナティブだと思ってやってたものが、世間でも流行りだしオルタナティブでなくなりだす時、正誤はともかく、「世界は平和でエコで健全な方向に向ってます」というニュースを聞いた時、それを素直に喜べなければそれはある種の罠に陥ってるのだと思う。

左翼とかオルタナティブというアイデンティティを維持するのはせいぜい数年で充分なのだ。生涯、オルタナティブに生きたいというのは馬鹿げている。

自分のために生きていけるというのは世間や家庭の状況によっては難しいことだったりするとも思うけど・・やっぱりそこで努力を怠ってはいけないんだろうな・・と思った。