新しい人間関係が必要

大学時代から特に思うことなのだが、友達が多い人ほど、資本主義的だってこと。流行に敏感で、よく消費する人ほど、いつもグループでいて群れやすい。それに対して、自分みたいにアングラな音楽や映画ばかり見ていて、政治や反資本主義的なものに興味がある人間は友達がいない、少ない。学生時代に何人か自分と同じような人にあったから分かるのだが、みんなそうだった。自立、独立してると言えると思う。だから反資本主義的だと自分はマイノリティと思いやすいが、群れている人と自立してる人の違いであり、それほど少数派でもないのかもしれない。

「集合住宅の政治学を研究する竹井隆人は集合住宅に限らず、日本においては「コミュニティ」という言葉が乱用されていることに注意を促がしている。竹井によれば「コミュニティ」という言葉は和気藹々と仲の良い雰囲気を醸し出すこと、親睦、相互交流を漠然と意味しており、「はなはだ情念的で表面的な意味合いでの人間同士のつきあいに終始するばかりが強調」されているという。このような「擬似血縁集団」は、集団の空気に無関心なものを排斥してるにもかかわらず、それに無自覚であり結局のところ「あくまでも自分と意見が合う人とのみ親和性を保つことであって、異論をもつ人とは接触をしない排外的姿勢を当然視するものと考えて差し支えない」と断じている。」http://www.amazon.co.jp/%E4%BB%96%E4%BA%BA%E3%81%A8%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%99%E8%8B%A5%E8%80%85%E3%81%9F%E3%81%A1-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%B9%85%E4%BF%9D%E7%94%B0-%E8%A3%95%E4%B9%8B/dp/4087205185

中学や大学で自分は集団に馴染めなかったが、いずれも「仲良しクラス」であった。「みんないい人ばっかりでいじめもなくて、すごく仲良しなクラスだよね〜」と自分のクラスについて語る人がいたものだ。行事、文化祭なんかになるとすごく盛り上がる。でもその仲良し空気に協力しないと排斥される。あと流行に敏感でみんなチャートの音楽と流行のドラマ見てる。見ないと一緒に群れることができない。そんな感じ。

さて先日行ったイベントで舫の人が、派遣村やホームレスなどのコミュニティについて語っていたのだが、そういうコミュニティって所謂仲良しとは違うだろうな。仲良し集団はドロップアウトした人に冷たい、大学の仲良しクラスは留年や退学、就職に失敗した人には冷たかった。本当に困った人には手を差し伸べてはくれない。

でも経済的に厳しくなるこれからの時代、本当に困った人がますます増えてくる。家でも車でも何でもシェアしないことにはやっていけないかもしれない。

そんな自分もそろそろハウスシェアなんてまじめに考えたりもしてる。以前仕事が自宅待機になったとき、最初は死ぬほど喜んだのだが、3,4日もすると辛くなった。1人暮らしだと、話し相手がいない、する事がない。仕事に行けば人との交流はある。でも仕事はいやだ。理由はありすぎて語り尽くせない
。「BI(ベーシックインカム)や労働の話をするとき、私たちはどうしても収入や労働時間のみから議論しがちであるが、それは机上の理論=神の視点であり、現場の現実=生身の視点ではない。先日湯浅誠氏がしていた話でこんなものがあった、以前ホームレスの男性をアパートに住まわせ生活保護を受けさせることに成功した。しかし男性はしばらくするとホームレスに戻ってしまった。理由はアパート暮らしは孤独であるから、ホームレスの時は家がなくとも仲間がいた。ホームレス暮らしのほうが良い・・と。マズロー欲求段階説というのがあるが、人は衣食住だけでは生きていけない。衣食住以上に大切なものがある。経済的に独りで生きていけても精神的には独りでは生きていけない動物である。だから労働も賃金だけの問題でなく、社会参加の一貫であり、そこに自分自身の価値を見出したり、人との交流のためであったりする。」現実には自由などない現場から・・・ - 社会考察日記 azalea

なので、日本で以前から普通の付き合いとされてきたもの、テレビの話題でお茶を濁してあの政治家ダメだよね〜あの芸能人かっこいいよね〜と同調してお互いの価値観を確認するのではなく、実は俺、お金に困ってて・・実はうつ病で・・実はこういう思想の持ち主で・・そんなドラマや映画にはあっても実際にはなかなかない、そんな付き合いがこれからの時代必要になるのかもしれないと思った。