人生は苦しみそのもの

ここ最近、なぜ反資本主義活動は行き詰るのかについて考えている。ここ数件の記事がそういうものだったのだけど、わたしはそれを反資本主義を謳いながら実は資本主義的な思考法にはまってしまっててそれを自覚してないから・・なんじゃないだろうかと思ってる。だって大半の今の日本人は生まれて物心ついたときにはもう資本主義だったんだから・・

先日、ふと通勤途中の電車の中で大事なことを思い出したので書いてみた。数年前、その世界では有名な精神科医斎藤学氏の講演でこんな話があった。「私の患者でよく、『一生懸命カウンセリングを受け、色んな本を読み、あらゆる努力をしてるのに人生が楽しいと思えない。』という方がいます。しかしそんな悩みはバカげています。人生というのはオギャーと生まれたときから苦しみそのものなんですから。」

なるほど・と思ったものだが、ここ最近仕事が憂鬱で・・かといって仕事を辞めても憂鬱で・・・という人が自分を含め自分の周りに多くて、なんでだろうと電車の中で考えていたときこの話を思い出したのだ。

人生は無常だ。諸行無常・・私たちはこの言葉を聞くと「昔は飢えや戦争なんて当たり前で、民主主義もないし、病気や災害に対して無力だったからそう思わざるを得なかったんだろうね」という思考にはまってしまってる。否、テクノロジーが発展し供給過多になった今でも、人生は苦しみそのものだ。供給過多になると心が満たされなくなる仕組みについてこのブログで何度か考察してる。

では「人生はハッピーだ。そうでないなら何かが間違ってる。」なんて考えはどこから来たのか?やっぱり資本主義からきたんじゃないだろうか?広告、ドラマ、TV、学校・・・色んなところから毒されてきたんじゃないだろうか?

いつまで経っても心満たされないカウンセリング患者と反資本主義者は似ている。人生は苦しみそのもの、辛くてOKなんです。かといって今の世の中がこのままでいい、改善する必要がないと思ってるわけじゃないけども・・