続ドロップアウトしても満たされない理由、「コーチが不在」

ドロップアウトしても満たされない理由について再考。サラリーマンを辞めて自営業、田舎暮らし、ニート、だけどなかなか心が満たされないのは「やらなきゃいけないことがないから」と前回書いたのだけど、「やらなきゃいけないこと」を課してくれる人、それがコーチという存在なのだ。
前回記事ドロップアウトしても満たされない理由、「やらなきゃいけないこと」が幸せをもたらす - 社会考察日記 azalea

小学校、中学校、高校、会社、いい思いばかりじゃない。特に会社ではいやな思いしてるけど、それでもどうしても感謝しなきゃいけないところが、「何かを課してくれる」「コーチングしてくれる」ところなのだ。学校における遅刻しちゃいけない、宿題やんなきゃいけないのは勉強する場、集団生活を学ぶ場、でもあるけど、子供であっても充実した生活のためにコーチングは必要なことだと思うのだ。別話だが「自由」な大学が私は死ぬほどいやだった。

つまり、私は今の会社が嫌だし、今のサラリーマンの大半は多分今の会社が嫌いだが・・それは悪いコーチについているからなのだ。だから「会社いやなら辞めればいいじゃん」の意見に私は否定的だ。(ノイローゼ状態なら別だけど・・)一応コーチはいた方がいい。もっといいコーチがいるから・・辞めるのには賛成だけど、コーチが不在になるのなら、安易に辞めないほうがいいと思う。

wikiによるといいコーチの定義はモチベーション、適切な課題、観察、コミュニケーション考える力、等だそうだ。コーチング - Wikipedia 私の会社は適切な課題を出さないのでモチベーションが低い。仕事以上のことについて考える力を養わせようとしない。

私は今まで、何度かボランティア団体に参加してる。だがいつも何か満たされない思いをする。ブログ内容と矛盾するけど、仕事の方が充実してるように感じるのだ。ボランティア団体は同じ志の人が集まってる。でもコーチがいない。遅刻しても怒られない。ノルマもない。

私が今のこの資本主義で一般企業に勤めてるということは、私のコーチは利益の最大化をGDPの最大化を求める投資家・国際銀行家で最悪のコーチであり、徳川幕府とかの方がマシなんじゃないかと思う。でも理想はコーチの不在じゃない。みんな仲良しで遅刻してもミスしてもドンマイドンマイじゃなくてどこか突き放してなにかを課してくれる人。人を幸せにできるいいコーチが欲しいのだ。あるいは自分がそんなコーチになりたいのだ。