恋愛、結婚、性について・・

恋愛、結婚、性、について考えてみた。

きっかけは、この本を読んだこと。新書『セックス・ヘルパーの尋常ならざる情熱』:一般社団法人ホワイトハンズそれと最近、兄、それと年の近い従兄弟が結婚して子供が出来たからである。親や親戚から○○君はまだなの?誰かいい人いないの?と聞かれる。周りを見れば、会社でも結婚してない人、してる人半々くらいである。私が疑問を持ったのは結婚、恋愛というのはどうしてこうも勝組、負組、劣等感を伴うのか・・ということなのだ。私はメディアが恋愛経験を通して一生懸命若者を煽り立ててるように見えた。

どこかに価値観の近い運命の人がいて、恋愛をしてデートしてキスして、それからセックスして、やがて結婚する。今の世の中、お見合い結婚など流行るべくもなく、自由恋愛の時代なのだからそうあるべき。そしてセックス目的で女の子と付き合うのは悪いことである。不特定多数とセックスするのも悪いことである・・と。

わたしもそういう世の中のステレオタイプ的な考え方に捉われ、恋愛を試みたことがあるのだがだめだった。思ったのは恋愛は消費文化に似てる。世間的にそれは楽しいものとなってるもの。例えばディズニーランドとか飲み会でバカ騒ぎするとか・・・・「みんな、経験してますよ。してないのはあなただけですよ。人生損しちゃうし、負組みになっちゃいますよ。」そういうものを疑問なく楽しめる人ならいいのだけど・・1時的に劣等感を感じて、経験してみたけど、これは本当に楽しいのか?必要なのか?と考えてしまう人間には楽しめないもののような気がした。

そして結婚についてだが、結婚と就職は似てるな・・と、負組み、ニート(ひとりもん)になるのがいやで世間体を気にしてするという点で・・・本音では就職なんてしたくないけど、面接で「私はこの仕事が自分に合ってると思い、御社を選びました。」本音では女「年齢を考えると、この人で妥協するしかないのかな〜」男「よし、これで俺もなんとか勝組に入ったぞ」結婚式では「私にはこの人しかいないと思いました」

結婚についてネガティヴに書いたけど、見てるとそこまで不幸な機能不全家族ばかりというわけでもないのだ。したらしたで、それなりお互い愛情を注いでいるわけで・・ここで疑問なのはお見合い結婚とか親同士で決めた結婚って全部が全部そこまで不幸だったのか?ということ。恋愛結婚の時代になったとはいうけど、実際の内容はそれほど変わってないんじゃないだろうか?ということ。

障害者向けの射精介助を行なう非営利組織「ホワイトハンズ」を立ち上げた坂爪真吾氏はなぜセックスの選択肢は恋愛と風俗しかないのか?という疑問と性産業のあり方に疑問を投げかける。性風俗やアダルトビジネスの世界では、誰もが必要性をある程度認めながら、人権侵害やハラスメントが蔓延し、関わった人が皆不幸になり、利用者もそこで働く人もだれも誇りを保つことができない。世間のイメージも実際の所もそうなのに、触れるのが恥ずかしいので黙認してる。AV女優を軽蔑しながらAVを見て、そんな自分も軽蔑する。そんな悪循環である。そしてそれが性に関するコンプレックスと罪悪感を増大させている。

橋爪氏は江戸時代には夜這いという風習があって、年頃になればいやでもセックスした。だから、現代のような悩みやコンプレックスも持たなかったし、そのために服装やデート代にお金をかけ、本来の自分と違うキャラクターを演じる必要性もなかったのである。だから、今は最初から恋愛なんかしないで婚活したほうが良い・・と。運命の人なんて幻想は捨て最初から性的モラルを持った上でパートナーを探した方が良い・・と。

半分賛同するけど、私は結婚というのは終身雇用制度と同じく崩壊していくんじゃないかと思うのだが、お金のいらない国の2みたいな世界になっていくんじゃないだろうか?お金のいらない国2

「男が求めてるのはセックスできる家政婦だ。」とネット記事を見かけたことがあって、まるで男のモラルの低下を非難するような記事だったが、非難されるべきは男の本音を抑圧し、本音で語らせない社会の方ではないのか?というのが今回思ったこと。自分も恋愛なんかしないでパートナーを探そう・・と。

貞操こそが資本主義の元凶匿名で書いた日記です。