「ニートの歩き方」を読んで

自分は今までこのブログではニートに肯定的でなくて、前々回の記事で幸福度数に表したのだけど・・一つには退屈は苦痛だ。だから今時有意義な仕事を探すのは本当に難しいけど、それでも何か仕事はした方が良い。二つ目にはやる事がないと人と繋がりが持てないし孤独だろう。その二つをphaさんはネットとギークハウスということで解決している。

私がphaさんの生活から関心するのはゲームして暇を潰すという点である。なんでかっていうと、自分は休みの日になるとどうしても「有意義」なことを探してしまって、本屋やインターネットで何か新しい知識や発見を求めて、ずっとうろうろ依存症気味なってしまう癖があるので・・最初から「暇つぶし」を目的に据えゲームをするというのは賢いやり方だと思うのだった。

それともう一つはphaさんはニートが正しいとは言わないこと。当たり前と言えば当たり前だけど、『働かないアリに意義がある』を例にとり、アリでも集団の7割は実は働いてなくて1割は一生働かない。ニートが正しいのではなくて世の中にはニート向きの人が一定の割合でいると主張するのだ。世の中どうあるべきか考え始めるといつの間にか多様性を認めることを忘れてしまったりする。

同じように私は昔、社会に無関心な人をどうにかしたい、変えたいと思った時期があったけど、世の中に疑問を持つ人と無関心で流されやすい人の割合もまたある程度一定なのかもしれない。周りに流されてるタイプの人は企業広告に一生いらないもの買わされて不幸になるしかないのだ。と思ってたけど最近は断捨離ブームだから流行に流されやすい人も幸せなのかも・・

以前にも書いたけど、自分が幸せになろうと思ったら、世の中が幸せでないといけない。自分だけ幸せになることはできない。

働いてる人には働いてる人なりの幸せ、ニートにはニートの幸せ。だから社畜ニートもフリーターも知識人も一般大衆も不幸な家庭で育った人も、その人向きの生き方と、その人なりの幸せを見つけることができたらいいのかもしれないと思った。


phaの日記
幸福度数を考えてみた。 - 社会考察日記 azalea
結局、自分だけ幸せになることは出来ないということ・・ - 社会考察日記 azalea