民度について語るなら・・

最近、日中関係の話題で「民度」という言葉が出てくるので、考えてみた。民度という言葉を調べると、市民社会の成熟度ということらしいけど、自分的には「人々が自分の本音にどれだけ気づいているか」で表せるような気がする。例えば、反日デモで暴れる中国の若者は自分の怒りがどこから沸いてくるのか気づいていないように見える。

民度が低いとされる事例。例えば、成人式で暴れる若者、暴走族、ヤンキー、は自分がなけなしの注目を浴びたいことに気付いてない。例えば体罰、虐待は自分が受けた虐待に気づいてないから、正当化し繰り返す。例えば高級ブランド、整形、実用性のない高級車、高級マンションは自分自身の自己評価の低さを金で埋め合わせようとしてる事に気付いていない。

私はネット上で「全く中国の民度は・・」と自分よりも下がいることに安心するかのような発言が嫌いだ。私は知識人、評論家、左翼等が、全く我が国の大衆の民度は低くて・・というのが嫌いだ。というのも、民度という言葉を使うならまず自分の民度について考え、自分の民度を高める努力をすべきとおもうからである。特に知識人が大衆の民度が低くて・・というなら、それは問題のポイントと大衆の本音を指摘できない、知識人としての力量不足なのだ。

私が内田樹氏の「日本辺境論」を読んだとき感動したのは、自分の中の外国人から学ばねば・・とか評価されなければ・・という気持ちがどこから来るのか理解できたからだ。私は以前、浜崎あゆみとかジャニーズとかが嫌いだったが、「メディアレイプ」という本を読み、マーケティングという言葉を理解すると共に何が嫌いなのか理解できた。私は以前、ヤンキーとか暴走族が嫌いだったが、アダルトチルドレンの中のスケープゴートという役割を知り、彼らをより深く理解できた。私は以前なんとなくネクタイして働くのも消費するのも嫌いだったが、ドキュメンタリー映画「コーポレーション」や反ロスチャイルド等を通してそれがなぜなのか理解できた。

私がここで考えたいの私たちは民度が低い人々に会ったときどうすればいいのだろう?良い心理カウンセラーというのはうまく質問することによって、クライアントの本音に気付かせることができる。奴らは民度が低くてとあきれて見せるのは簡単だ。「嫌いだ」「レベルが低い」「むかつく」というのも簡単だが、もし本当に民度が低い奴らを排除したいと思うなら、より高い次元の議論を吹っ掛けることにより、彼らの本音に気付かせることだと思う。