選挙について

「自由」民主主義の象徴でもある選挙がやってきた。私自身、選挙には何も期待していない。世の中が変わるとしたら買い物からであると思う。

「西欧のステレオタイプ的発想では、人間はしばしば選択せざるを得ない岐路に立たされ、そこでは同等の選択肢を与えられる。ここで自らの意志に従っていずれかの選択肢を選び出すことが自由の本質である。その結果生じた事態に対しては、選択した本人が責任を負う。ところがこれは現実に則していない。重い選択肢を行なう場合、逡巡と熟考の結果、全体が溶け合って一つの意味のあるパターンがおのずと立ち現れ「どうするべきか、今分かった」「なにをすべきか今分かった」そして「これがそうだ」。人間は「こうしよう」という形で決断するのでなく、「そうなってしまう」という形で決断するのだ。」生きるための経済学 <選択の自由>からの脱却 安富歩

「選択という設定自体が危険である。なぜなら無数の選択肢のなかから正しい選択をするなど原理的に不可能だからである。選択を迫られるなら今すぐその場を逃げ出すべきである。どうしても逃げられないときにはその瞬間に良い感じがするものを選ぶしかありません。」生きる技法 安富歩

人間誰しも大きな決断するときは「○○するしかないからする。」「○○せざるを得ないからする。」といった形で決断してると思う。ところが自由民主主義信者はそれを恥だと考えていて、人からの非難が怖いが故、「俺はは○○したいからしたんだ。」と言いたがる。どうしてもそう言いたいからあの人はなにかやってくれそうだからと言って石原・橋下なんかにいれたりするのだと思う。

私はまだ誰に投票するか決めてもないけど、誰々にせざるを得ないから誰々にするという形で決めるつもりである。選挙という決断を迫られる状況から逃げて逃げて逃げ切れなくなっていやいや投票に行く。それが1番いい決断だと思う。

http://d.hatena.ne.jp/what_a_dude/20121120/p1