移行する資本主義

積極的資本主義から強制的資本主義への移行と言えばいいのだろうか?う〜ん、文才がないのでうまい言葉が見つからない。要は今までは、自ら積極的に消費し働き、資本主義の世の中に加担してきた。でも今は誰もが社畜なんていやだ。就職も労働もいやだ。そう思ったところで選択肢がない。ということに直面してる。今まではいやになったら辞めればいいんだから・・と思ってたかもしれない。でもいざいやになってみても、そうそう仕事なんて辞められない。このブログも3か月更新がなかったけど、それは私が仕事に忙殺されてたから・・

「自由意志があるから責任を取るのではない。責任を追及することによって自由意志と言う幻想をお互いに強化してるのである。」なめらかな社会とその敵/鈴木健

今、読みかけの本からの引用なのだけど・・もう自分の行動について一貫した説明をするのは止めよう。そんな必要などないのだ。
なぜ、あなたはそうしましたか?なぜそれを選びましたか?それに対して答えが必要だろうか?なぜ、あなたは資本主義が嫌いにも関わらず、社畜生活を続けるのですか?なぜ、あなたは会社がいやなのに辞めないのですか?

科学的にみても運動というのは意志よりも300ミリ秒ほど早く始まってる。だから例えば働くという行動に対して社会や家族の影響、心理学的、動物的本能から分析しきれないほど複雑な要素から行動を起こして、後から民主主義社会の大人として行動責任を追及され、一貫性のある言い訳を作話してるにすぎないのだ。

現実には自由などない現場から・・・ - 社会考察日記 azalea
原始人的本能が生む矛盾 - 社会考察日記 azalea

自分的にはこれって4年も前から考え続けてることなんだけど、これからの時代すべての人が自分には自由意志などないということにもろに直面せざるを得ない時代が来てるんだと思う。だから積極的資本主義に対するアンチとして民主主義的なデモや消費者運動が最近盛り上がらなくなってきてるように感じる。人には自由意志があるという民主主義的視点ではなくもっと動物的、原始人的視点から考えないといけないんだろうな。とりあえず読みかけの本を読んでみよう。