陰謀の資本主義と本能の資本主義

ブランクが空いたので改めて自分の考えをまとめなおしてみる。このブログの主旨でいくと自分は資本主義=経済成長ってことで語ってきた。だがそう考えると人類史は資本主義とも言える。
確かに経済成長から資本家、銀行家が儲けるようになったのはフランス革命の辺りからかもしれない。だが原始人だって縄文人だって、道具や方法を工夫してより効率よく狩猟や稲作を行おうとしてきたはずだ。言ってみれば国民(村民)総生産を増やそうと努力してきたはずだ。そのために銀行家から金を借りて利子をつけて返すようなことはしないですんだが・・
それが産業革命フランス革命により大きく変わったのは、資本家が王家に代わって政治を牛耳るようになったこと。経済成長が資本家、銀行家の利益になるようになったこと。経済成長のために生産だけでなく消費も必要になったこと。資本家、銀行家がメディアを通して消費を推進するようになったこと。などが挙げられる。
「「消費者」は、産業革命とともに生まれた。産業革命によって、工業製品の生産量が 飛躍的に増え、多くの人々が工業製品を買えるだけの経済的、時間的な余裕を 持つことが必要になった。生産効率が上がって増え続ける商品を、売れ残りのないよう 人々に消費をさせるには、人々の所得を賃上げで増やさねばならないし、 金を使う余暇を適当に与えねばならない。酷使される貧しい工場労働者を、 消費する中産階級に変えていくことが、実は資本家の好むところでもある。 大量生産がなかった産業革命前には、資本家の事業が一般の人々を巻き込む必要はなかったが、 産業革命後、資本家は一般の人々を、労働者と消費者の両面で巻き込まねばならなくなった。」http://tanakanews.com/100504capitalism.php :title]

だから私に言わせると、資本主義には人類史から続く「本能の資本主義」と銀行家、資本家に操られた「陰謀の資本主義」の二つの側面がある。

「陰謀」に気付いて労働も消費も止めようと試みると今度は「本能」の方が辛くなる。なぜなら人間の身体、心は、朝起きたら生きるためにやらなければいけないことが用意されているという状況に何千年も慣れきっているからである。また非効率的なこと無駄なことをやろうとするとイライラしたり辛くなってしまう。なぜなら時間を有効に使いたいという原始人的本能がそれを許さないからだ。また常に新しい刺激を求めるのも人の本能と言える。なぜなら人は海の向こうに山の向こうに何か新しい食べ物はないか?新しい発見はないだろうか?と何千年も模索し続けてきたからだ。だからどうしても今までしたことがないことをしたい。新しい刺激が欲しい。したがって新製品に惹かれる。

「エネルギーが無駄に使用されてる(効率的に使用されてない)と判断されるとその状態を改善させるべく強い苦しみを発生させる。だから私たちは意味のない仕事、やりがいのない仕事を強要されると大変に苦しい。」
「退屈はエネルギー苦によって発動される。人は頭脳を使い、環境に働きかけることによってより良い生活を得てきた。原始人的には特に大きな危険がなければ、将来の安全を保障するために?自分の能力を上げるか?環境を改善しなければならないとプログラムされているのだ。」
「人は刺激を求めるようにできている。何の刺激もない状態は、食にも性にもありつけない。刺激がなければ学習も工夫も成立しない。刺激を求めていく行動が生へとつながっていく。」
しばられてみる生き方/下園壮太

周りの人の話を聞いてもスローライフニートライフを試みてみるとこの本能の部分が辛くなる。陰謀を見破ったうえで本能とうまく付き合う。さてそれはどんな生活になるんだろう?

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