なぜ人類は戦争を辞められないのか

何故戦争はなくならないのか・・という議論はよくある。その解答としてひとつに戦争は儲かるからという経済的理由、武器産業がうるおう、戦争で破壊した都市の再建に投資すれば儲かる。また心理的な理由として憎しみの連鎖。テロで家族、友人を殺された。復讐しないといけない。テロの拠点を爆撃した。無関係の市民が殺された。復讐せねば・・と言う理由でいつまでたっても戦争がなくならない。

戦争は儲かるから説の元凶として、ロスチャイルド、ロックフェラー等の財閥がやり玉にあがる。あいつらが戦争で儲けてる。世界を牛耳ってる。陰謀論とも言われてるが戦争で企業が儲かるのは事実だから、信憑性のある話だ。ただ、そういった財閥が登場したのは、フランス革命以後であり、それ以前から人類は戦争してたのだ。江戸時代のように平和な時代があったにせよ、戦国時代、鎌倉時代、原始時代、文明と言うものを持った時から人類は戦争してきた。では原始人はなぜ斧や槍で、殺しあったのだろうか?食糧や物資が不足して奪い合わないといけなかったから、もちろんそれもあるんだろうが・・

自分としては戦争と虐待というのは切り離せないものだと思ってる。虐待が戦争を生む例として、心理学者アリス・ミラーのヒトラーに対する研究が有名だ。アリス・ミラー - Wikipedia

ミラーは、ヒトラーとその支持者を注意深く観察し、ナチズムが子供への暴力の一つの表現であると考える。というのも、ヒトラーの世代が子供だったころ、シュレーバー教育に代表される非常に厳格で暴力的な教育方法がドイツに広がっており、子供たちは家庭でも学校でも激しい暴力に晒されていた。ヒトラーも父親から日常的な殴打を受けて育っており、彼の政策は自分が受けた暴力を、全人類に対して「やり返す」性質のものであり、ドイツの多くの国民も、そのような政策を自分自身の衝動に一致していると感じて、支持したのではないか、としている。
また戦争が虐待を生む例も数多い。アダルトチルドレン自助グループに行くと、アル中のルーツは帰還兵の祖父だったり、孤児であった祖母など、戦争が原因による機能不全家族、虐待の例は数多い。

戦争と虐待を切り離せない1番の理由は・・人を殺せる人間は心が麻痺してなければいけない。心を麻痺させるには虐待を受けてる必要がある・・からである。では虐待のルーツはどこから始まっているのだろう。

人間には苦しさを麻痺させるシステムが備わってる。例えば痛み、痛みは原始人に体に危険が訪れてることを知らせている。骨折してる、毒虫に刺されている、内臓に異変がある、そんな時痛みが異変を教えてくれる。安静にしなさいと体に指示する。ただ原始人の環境は危険と隣り合わせだ。今けがをしてるからと言って襲ってくる熊が容赦してくれるわけではない。けがをしてても全力で対応しないといけない。そんな時麻痺のシステムが作用する。麻痺のシステムは私たちに、痛み、疲労、不安、恐怖、悲しみを感じにくくしてくれる。(心の疲れを取る技術/下園壮太

一見すると健全、適正なシステムでもあるようにも見えるが、実はこれは虐待を受けた子供のサバイバル術にそっくりだ。虐待を受けた子供は生き延びるために、痛み、恐怖、悲しみを麻痺させる。だが麻痺させたままでは自分の子供にも虐待を加えるようになってしまう。ヒットラーと同じように・・

大量生産、大量消費の現代文明を嫌悪してる身からすると原始時代は牧歌的な時代で虐待なんてなかったような印象を抱いてしまうが、やはり貧困というのは虐待を生むようなのだ。私たちはとりあえず食うものがないとう心配はしないでいいし、猛獣に襲われる心配もしないでいい。通常生きてて、命の危険は感じないで良い。私の職場はブラックと言えばブラックだが昼休み1時間休憩取れるし、基本的に週に1度は休める。それは文明のおかげなわけだが、私たちはそのことにもっと感謝すべきだと思う。

以前の記事でも、これだけ科学技術が発展した時代に、さらなる生産性、効率性を求めて社畜のように働くのはばかばかしい。それは紛れもなく真実だけど、人間は原始時代から生産性、効率性を高めて少しでも多く食糧を確保しようとする癖が身に染みついている。それを無視してスローライフと言ってもなかなかうまくいかないのだ。

戦争にも同じようなことが言える。戦争はばかばかしい。お金をかけて、人を殺して、憎しみを生み、何の生産性もない。しかも食糧を奪い合うような時代でもないのにだ。とても許された行為ではない。ただそれは原始時代から行われてきた行為なのだ。現代日本人の視点でばかばかしい、許せないというのは当然だけど、止めるのはなかなか容易ではないのも真実であると思う。