地方とイオンについて思うこと

最近ネットで田舎の地方都市でスタバに行列することについて話題になった。1日中イオンで過ごすイオニストという人らもいるらしい。
私にはイオンが眩しすぎる - シロクマの屑籠
イオンモールは文化の破壊か?向上か?…「ショッピングモール論」まとめ - Togetter

それに対して、せっかく田舎にはきれいな山も田んぼも川もあるのにイオンなんかで過ごすの?スタバに行列ってバカじゃないの?みたいな意見が多かった。私も東京育ちで、群馬に1年住んだり、東北に旅行に行ったりしたことはある。のでそれについて思うことがある。私自身、スタバに行列なんてバカ・・だとは思う。でも、地方に生まれ育った人と都会で生まれ育った人ではスタバやイオンも田舎の山や田んぼや自然も位置づけが違うと思うのだ。

私のような東京人が地方に行くと、中心駅か一駅行っただけで見れる田んぼ、周りに見える山、は新しい発見だ。そして国道沿いに見慣れたユニクロ、コンビニ、チェーン店があり、そこに車で通う事に違和感を感じる。私がポイントだと思うのは私にとっては新しい発見である田んぼや山も、田舎で生まれ育った人には子供の頃からずっと見慣れた風景であり、これからも変わることはないだろう風景だということだ。私は田んぼや山を見て世の中良くなるんじゃないかという希望を持てる、でも地方の人は・・?

文化的ゼロ成長時代 - 社会考察日記 azalea
三ヶ月ほど前私は「文化的ゼロ成長時代」という記事を書いて、まやかしの「世の中良くなる」という希望などなくていいと書いた。でもそれについてちょっと迷ってる。
いじめ、虐待、ハラスメントの世代連鎖を絶つためには、まやかしでも「世の中良くなる」という希望が必要なのかもしれないと思ったからだ。電車のなかでグズる子供を怒鳴る親を見ていて思うのだが、そういう希望がないと、自分の受けた虐待を繰り返して欲しくない。自分の子供に自分よりいい思いをしてしてほしい。と思えないんじゃないだろうか?

ちょっと前まで日本には希望があったと思う。それは改善出来そうなことが沢山あったからだと思うのだ。まだお金に余裕があったから、お金に使い方を変えれば・・働き方を変えれば・・流行りの音楽が変われば・・人々の意識が変われば・・もっといい世の中になるんじゃないか・・?

私の価値観から言えばスタバやイオンなんてゴミだ。地方の個性も雇用も奪う悪魔だ・・と思う。でももし私が子供の頃から田舎で生まれ育ったら、変化がないのはキツイよな・・と思う。国道沿いのチェーン店はウザイんだけど、もしそれがなくてずっと変化のない風景を20年や30年見続けるとしたら私は耐えられるだろうか?退屈すぎて死んでしまわないだろうか?だからスタバに行列する地方の人を都会人がもっと地元の自然を大事にしろよ、と安易に笑うべきではない。変化がないという退屈に耐えるのは簡単なことではないのだから・・

人生はハッピーだという幻想を捨てて、元々誰にとっても虚しく退屈で辛いものだと思えたとき、安易な希望に頼らず、虐待の連鎖を止めれるんじゃないかとは思うけど・・