機能不全家族としての社会的自我

ACにおける機能不全家族の形態として、ネグレクト(育児放棄)、暴力、言葉の暴力、性的虐待アルコール依存症ギャンブル依存症、過干渉等色々ある。「幸福な家庭は皆似通ってるが、不幸な家庭はその不幸の様も皆それぞれである」というのはロシアの作家トルスロイの名言だが・・最近その形態の一つとして社会的自我家族というのがあるのではないか・・と思うのだ。

定義としては本当に自分がしたいことよりもあくまでも社会的規範を優先させる。そういう家族である。社会的規範家族は機能不全家族としては見た目にはそれほど悲惨ではないかもしれない。なぜなら、現代の社会的規範としては虐待は行ってはいけないし、親子は友達みたいに仲良く、夫婦円満、そういった家庭が規範とされてるからだ。母親は黙って家事・育児とか、子供は殴って厳しく育てろみたいな規範がまかり通ってた時代よりは幸福かもしれない。しかしそれがあくまでも社会的規範にそって行動しないといけないから・・という行動原理で動いてる限り、愛情もどこか希薄なものになる。故にそういった家庭で育った子供は見捨てられ恐怖を持ち承認欲求に飢えており、学校で嫌われたり、集団から外れてボッチになることを恐れる。そしてその気持ちがまた社会的規範に従わなければ・・という気持ちを引き起こす。まさに連鎖である。

特徴的なのは、一度も自分の感覚や世の中のありかたについて疑ったことがないことなのだ。例えば、流行りの音楽があって聞かないとみんなの話についていけない。その音楽を聞きながら・・本当に自分はこの音楽が好きなんだろうか?と1度も自分の感覚を疑わずに好きだと思えれば、立派にこの仲間だと思う。もしくは「AKB一位の○○って、可愛いよな。彼女にしたいだろ?Hしたいだろ?」と聞かれ、「そりゃ、○○だもの当たり前じゃん・・」と口で言いつつ、心の中で「いや本当に可愛いかな?好きでもないのにHしたいかな?」と自分を疑えばこの仲間には入れない。でも世の中でそう思うのが普通ってされてるんだから自分はそう思うべき・・と思考回路がインプットされてる人はそれが自分の本音だと疑わない。同調圧力に屈しているという自覚さえない。

社会規範というと一見真面目なガリ勉みたいな印象を受けるが実際には逆である。社会的規範にそって行動する人は、真面目、暗い、ボッチなどと言われる事をもっとも恐る。それが現代の社会的規範だ。自我には本来の自我と社会的自我がある。本来の自我を社会的自我に乗っ取られてることがこの人たちの特徴である。

なぜこのことについて考えたかというと、最近大学生と話すことがあって、大学でボッチになる人リア充になる人、そういう違いってどこから出てくるんだろう?という話になったからである。そこで大学でリア充になれる人、飲み会サークルを楽しめる人ってこういう人だよな・・と思ったのだ。またB層と呼ばれる人、マイルドヤンキーと呼ばれる人もこの手の部類なのかもしれない。

親からひどい虐待を受けると、こうはならない。なぜなら子供の頃から学校に馴染めないことが多いし、自分の感覚を疑わざるを得ない。「生きづらさ」を抱えて生きていくことになり、それがACへの気付き回復へとつながっていけば良いのだが・・社会的規範にそって生きていくということは「生きづらさ」を回避することこそ人生の最重要事項として生きていくことだから、疑うということを知らない。1番マーケットのかもにされやすい。見た目には悲惨でなくても連鎖を断ちにくいという意味では1番悲惨かもしれない。

なにかいい病名をつけてそれが社会的に認知されれば、彼らが自分の生き方に疑問を持ったりするきっかけになると思うのだが・・

機能不全家族 - Wikipedia
B層とは - はてなキーワード
マイルドヤンキー(まいるどやんきー)とは - コトバンク
大学生活を分析する - 社会考察日記 azalea