なぜ、こんなにも他人との比較にとりつかれるのか?

また地位財、非地位財の話。他人との比較は不毛である。他人との比較では幸せになれない。そんなことは知り尽くしているつもりの自分でも、他人との比較に取り付かれることがある。そして周りには病的なまでに他人との比較に取り付かれたひとがいる。

その理由について考えてみた。思うに人には非地位財の幸せを満たせないとその満たせない気持ちを地位財で満たそうとする癖がある。ということだ。非地位財を満たすとはどういうことだろう?それは普通の暮らしによって満たされることだと思う。朝は8時から夕方5時まで平凡で普通だけど社会に貢献できる仕事をして、帰ったら家族と一緒にご飯食べて、たまにお酒を飲んだり、ブスだけど性格は可愛い奥さんと結婚して週末は子供と遊んだりしてのんびり過ごす。それは一つの例だけど、戦後の経済成長がそんな普通の幸せをズタズタにしてしまった。

普通の生活、特に普通の仕事というものがものすごく贅沢になってしまった。結果他人との比較に取りつかれるようになった。人に過剰な労働と消費を促したい企業の思うつぼなわけだが・・

例えば中韓との比較に取り付かれたネトウヨ。噂によるとお隣さんの民度はそれほど高くないということが余計に自分たちに自信を与えてくれるらしい。

それとママ友。ママ友コミュニティーの話を聞くとなにか常軌を逸してるとしか思えない。夫の仕事のせいなのか?専業主婦はよっぽど満たされない生活を送ってるらしい。

なので他人との比較に取り付かれた時は、まず自分の生活を見直すべき。そして何が満たされてないのかを知るべき。

戦後から73年オイルショック辺りまでの日本人は、「義」のために働き、食うために働いていた。働くことが社会につながってる実感があった。だがそれ以降、日本家庭のエンゲル係数は3割を切る。つまりは食うために働く時代ではなくなった。お金と消費のために働く時代になった。そしてその労働観のまま、バブル崩壊以降、労働モラル崩壊の時代に入っている。「移行期的混乱/平川克美