民主主義を疑うことについてのつぶやき。

原発、環境問題、人権問題、人種差別等々リベラルな問題に人々がデモ活動等を通して取り組むとき、それは自分の意思というよりも他人の評価を気にしての行動だということ。
・他人の評価とは結局行き着くところ国際評価からの評価であり、国際カースト上位の国、米英独仏・・欧米諸国からの評価であること。評価基準を作ってるのがそれらの国であるということ。
・数年前にドイツを旅行した経験からすると、日本より過去の戦争を反省してると言われるドイツの方がずっと人種差別的だ。いやな仕事は移民にやらせるとか、アジア人が列に並んでると当たり前のように割り込んでくる・・それを当たり前で人種差別だと思ってない人があまりにも多い・・という点で。
・欧米人は人種差別をするために人種差別反対をしてるのではないかと思うときがある。欧米人が最優秀民族であるためには、リベラル民主主義という分野で1番進んでいなければならない。サッカーの試合で1部のファンが差別行為を行ったために(そのファンだけを出入り禁止にすれば済む話なのに)無観客試合になったりするのは人種差別撲滅のためより自分たちが1番進んでいることをアピールしたいためなのだと思う。
・かといって欧米人は傲慢だとかいうつもりもなく、彼らも当然同じ人間なのだから、他人からの評価が気になるし、欧米人は優秀、知的、かっこいい、という価値観が生まれたときからあれば、それを捨てたくないと思うのも当然なのだ。
・他人の評価を気にして行動するのを止めれば、そもそもデモも選挙も誰も行かないんじゃないか・・と思ったりもする。あるいは今僕たちの知ってるデモや選挙とは違う形のものになるんじゃないかと思う。

殴り書き、箇条書きですが後々まとめたいです。