ぼっちのメリット、デメリット

『ひとりぼっちを笑うな』生きづらいと思い込んでいる人へのメッセージ - ぐるりみち。
上記ブログ記事を読んで、自分もかなりのぼっちであるので、ぼっちについて考えてみた。
自分の場合、中学、高校の時にもぼっち期間はいくらかあるが、大学では5年間通って、人と話したのは何回か・・というかなりの究極ぼっちであった。そもそも、大学そのものに馴染めないのと元々メンヘラの対人恐怖だったので友達を作りたいという以前の所だったのだが・・

それで5年間も何をしてたかというと、ひたすら、本を読み、音楽を聴き、映画を見て・・の日々だった。かなりおたくな音楽や映画ばかり見ていた。テクノやヒップホップ、それも60年代や80年代の昔のもの、映画もロシア、フランス、ドイツ・・所謂流行とはほど遠いもの・・

その後社会人になり、カラオケ等行ったりすると、歌える曲が一曲もなくて、高校の頃流行ってたスピッツの曲とかを一生懸命思い出してたりした。5年間もぼっちをやるととにかく付き合いというものが窮屈で仕方ない。テレビ見てないとかあれ知らないこれ知らない、こうするのが普通等など・・

ぼっちのメリットは同調圧力から自由であること。ただ一方でこんな話がある。

ある村に世俗的な欲望を捨てた仙人のような人がいました。彼は村に住むことを拒否し、山の中に掘っ立て小屋を造って、ただ一人で自給自足の生活を始めました。村人たちと交流することに意味を感じなかったのです。ある日その村が大火事に見舞われました。村は荒れ果て、人々はその土地を捨て、他の土地へ移住することを決めました。そして、村全体で大移動したのです。すると、驚いたことに仙人のような世捨て人まで移住して、新しい村を見渡せる新たな山へ引っ越したのです。世捨て人は人間関係を捨てたのではありませんでした。彼は世俗を捨てた清らかで優れた人間である。と村人から思われたかった。そのために世捨て人になったのです。ですから観客がいない場所で生きることに耐えられなかったです。(アルフレッドアドラー 人生に革命が起きる100の言葉/小倉広)

ぼっちはリア充に比べ「比較的」自由である。しかし完璧に自由なわけではない。対人関係から自由な人間等いない。ぼっちでも他人からの評価は気になるし、他人との比較や評価に自分の価値を見出してる。
ぼっちのメリットとしてオタクになることができるという点がある。ただ裏を返すとオタクにならないとぼっちに耐えられないとも実体験として言える。自分だけの世界があればぼっちにも耐えられる。ただ自分だけの世界は長続きするだろうか?夢中だった趣味も年を取ればいつか飽きたり、面白みがなくなったりするかもしれない。あるいは世間で流行りだして誰もが知ってるものになってしまうかもしれない。

その時始めて自分にはなんの価値もないような欠落感を感じるなら、ぼっちに執着するより作れるなら少しでも友達を作っておいたほうがいいように思える。

いま考えるのは同調圧力のかからない、自分にとってプラスな人間関係とはどんなだろう?ということである。結局、他人との比較や他人からの評価から自由になれないのなら、もっと積極的に人と関わりたいとも思う。けどそれが劣等感まみれになり他人の顔色ばかり伺うのではなく、前向きあの人が頑張ってるなら自分も頑張ろう・・とかあの人に評価されてうれしいから頑張ろうとかそう思えればいいのだが・・

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