変えられないもの、変えれるもの

神よ私たちに変えられるものを変える勇気と、変えられないものを受け入れる冷静さと、その二つを見極める知恵を与えたまえ
これはアルコール依存症からの回復のカウンセリングでよく使う言葉なんだが、今の社会を語る上でも使える言葉だと思うのだ。もはや日本社会には希望がない。人口が減少する中、経済成長すれば、労働環境。生活環境は悪化する一方、かといって資本主義を変える代案が出てるわけでもない。民主主義はもはやかつての妄想だ。そんな中でもニートになる居場所がない自分みたいな人は働かないといけない。そこで今自分の中で超推薦本なのが「朝日新聞出版 最新刊行物:新書:心の疲れをとる技術 」以前に同じ著者下園壮太氏の「しばられてみる生き方」を推薦したのだがこちらも是非。

この本を読むと僕らの労働環境にはまだまだムリ・ムダ・ムラがあってカイゼンの余地があるんだと気づかされる。

心の強さには2種類ある。子供の心の強さと大人の心の強さだ。子供の心の強さとは「我慢する」「あきらめない」「全部やる」「一人でやる」「完全にやる」自分に対する評価は厳しくあることが求められ簡単に今の自分に満足してはいけない。このような態度が周囲の大人から賞賛された。
子供のころは我慢して努力していればだんだんできるようになる。学校で与えられる課題も、努力や忍耐で克服できるものが多かった。
しかし大人になると少し違うタイプの心の強さが必要になる。「大人の心の強さ」だ。大人は体力・知力とも飛躍的に伸びない。今の自分を愛し、認め上手に使いこなす能力が必要になる。また世の中は、不公平や不平等、理不尽にあふれ努力しても報われないことが多い。それでもめげずに生きていかないといけない。一つ一つの課題には試験のような○×はなく、状況に応じて柔軟に考え、バランスを取っていかなければならない。
子供の心が強いひとはムリしてしまう。ムダにがんばってしまう。

そこで著者はムリしてしまう人が「がんばらない自分」を認めるための方法として、目標の30%から70%で満足しようと提案する。特徴的なのは70%を決して超えてはいけない点だ。
さらに著者が指摘するのはなぜ現代人は身の安全は保障されてるにも関わらず、死に物狂いになってしまうのか?という点だ。
原始時代あるいは江戸時代でも人から怒られるということは生死に関わることだった。もし対面する人が怒り出せばその人は自分を斧で刀で殺すかもしれないからだ。自分の解釈を加えれば、子供のころ3歳くらいで親に見捨てられたら生きていけない頃に親に怒られるのは恐怖だ。子供の頃そういう見捨てられ体験をしてると大人になってもフラッシュバックすることがある。会社で上司に怒られたからといって死ぬことなんてない。だが人という動物は死ぬほど不安になってしまうのだ。
更に農耕民族日本人は他の人ががんばってるにも関わらず、自分は楽してると不安に襲われる。それは村八分されるかもしれないという不安である。現代なら別に村八分されても生きてける。しかし農耕民族として植え付けられた感情プログラムが村八分=死という不安を呼び起こすのだ。
必死にならなくても生きていける。性的欲求も満たされる。こんな時代で人の感情は以前と少し違うところで喚起されている。それは対人関係と自分のアイデンティティ(自信のなさ、自責)に関するものだ。
現代人の特徴として民主主義という前提で身の安全を保障された社会に暮らす人間様は自分でも社会でも何でも変えられると思いがちだが、人間は動物である。とっさに反応してしまいそれから腰を落ち着ける場所を確保してやっとじっくり思考できるのである。こんな時代でもまだできることがある気がする。